
絶対無の背景 / メンバー
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幕
1
1983~1991年
バンド創世期

1989年 絶対無ライヴ@東京
1981年、リーダーの 古江 尚 は高校時代の親友 中村秀文 他と ヴェルヴェット・アンダーグラウンド のコピーバンド アートギャオス(Artgaous) を結成し、慶大在学中 三田祭 に出演。その後、オリジナル曲を制作し始め、当時のプログレッシブロックバンドたちと学外でもライヴで共演。英国ロックをベースにアバンギャルドなサウンドを追求していた。
しかし、大学生だった古江は、日本人としての自らのオリジン(音楽や音楽以外でも)にふと疑問を抱き始め、日常生活での葛藤でノイローゼになり大学を中退し、禅 にのめりこむ。
1982年、メンバーにドラマー 折居 善広 他が加入。オリジナル曲のみで活動するため「中立報道(ニュートラル・ニューズ/Neutral News)」を結成。英国ロックを基盤とし、歌詞は主に英語だった。
1983年、古江が物心つく前から母親に聴かされた日本的な琴の旋律、彼の地元の祭り 小倉・祇園太鼓 で 身体に染み付いた和太鼓の「間」をロックと自然に融合させるため、絶対無 を結成。 日本人としての自分に無理のない、自然でオリジナルなサウンドを自らのロック作品に追求し始める。
1989年、ファーストアルバム「うちの婆様が言うには」(LP)を伽藍堂レコードよりリリース。日本らしい短音階をベースライン、 ギターのリフに使うなど、日本人の陰の感性をテーマとした。レコ発ライヴの対バンは、今は亡き 成田弥宇 氏がリーダーの伝説バンド LIBIDO 。成田氏に絶賛、 励まされ、都内にてライヴ活動を続ける。LIBIDO との全国ツアー決定後に成田氏は若くして他界し、バンドは衝撃を受ける。
また、日本じゅうがバブル景気に浮かれるなか、音楽評論家の 渋谷陽一 氏に 『今どき珍しいこの暗さ。日本の土着ロックを目指すユニークな新人グループ』 と評される。
1991年、ライヴ・レコーディング「絶対無 ライヴ!」(カセット)を伽藍堂レコードよりリリース。
ライヴを重ねるにつれ、古江はライヴ活動にうんざりし突然中断してしまった。そして、第1の幕は下ろされた。
ディスコグラフィー

1989 Yoshihiro Orii - Drums

1989 Hisashi Furue - Vo, Guitar, Composer
-
折居 善広(1983~2001) - ドラム、コーラス
-
古江 尚(1983~) - ボーカル、ギター、ベース、ピアノ、作詞、作曲ほか
-
佐藤 信(1983~1984) - ベース
-
長崎 智明(1983~1984) - キーボード
-
中村 修(1986) - ベース
-
横山 雅一(1985~1989)- キーボード、ピアノ、コーラス
ミュージシャン
- 1986/10/29(水)- 曼荼羅(東京・吉祥寺)
- 1986/11/24(月)- 和光大学 (東京・町田)
-
1989/5/13(土)- チョコレート・シティー(東京・代々木)
-
1989/7/23(日)- レイジー・ウェイズ(東京・高円寺)
-
1989年 - 「うちの婆様が言うには」レコ発 - ライブ・ステーション(東京・目黒)
w/ LIBIDO
その他多数

1989年 チョコレートシティー
ライヴ / ツアー
幕
2
1996~2002年
バンドサウンド黎明期

2002 US Live @Los Angels
インターネットが巷にも降りてきた1990年代後半、古江が試しにネット上に新曲の未完成クリップを思いつきで掲載したところ、ヨーロッパ、アメリカなどのレーベル、音楽評論家、インディーズ・ミュージシャンから絶賛、いくつかの海外レーベルから曲の提供を依頼され、古江は時代がずいぶん変わったなと驚いた。
1998年、絶対無は米国レーベル TWIN BHUDDA RECORDS に未完成のままの曲 In The Decadent Times の提供を依頼され、コンピレーションアルバム COWBOYS IN TOKYO に参加。テキサス出身のバンドと共演した。また、同年、米国レーベル RPM (USA) のコンピレーションアルバム Pop Goes The World にも同曲を提供。欧米やオセアニア出身の有名インディーバンドたちと共演した。
1998年、セカンドアルバム 『In The Decadent Times/世紀末には(CD)』を海外でプレリリース。 海外、特にヨーロッパ諸国、アメリカで高く評価される。 オルタナ、サイケ、プログレ、フォーク、ポップス、60年代 歌謡曲、日本の民族音楽など様々な音楽スタイルに『和』の要素をプラスし、多種多様なセンスを随所に見せ始めた。 詞はもちろんだが、特にメロディー、アンサンブルを重要視する彼らの曲は、高いレベル、深みを帯びたオリジナリティー をもつオルタナティヴバンドとして、海外で高い評価を得る。 また、WAVE (渋谷店) など有名インディーズ取扱店で店の 推薦盤となり、意外にも日本の若い世代に評価を得る。
2000年、 新メンバーを集め、ほぼ10年ぶりに都内でライヴ活動を再開。さらに、ボーカル 野原 巳香、キーボーディスト 豊岡 成治 が加入し、club asia(東京・渋谷)、FANDANGO(大阪・十三)、club metro(京都・丸太町)などで俳優の佐野史郎さんのバンド、割礼など有名インディーズバンドと共演。
2001年4月20日、絶対無は MANDA-LA2(東京・吉祥寺)で割礼と共演したが、古江は割礼のドラマーである 松橋 道伸 のドラミングに痛く感動した。
2001年7月、ドラマーの折居が脱退し、古江は絶対無への加入を松橋に持ちかけたが、松橋は絶対無への参加を快諾した。絶対無特有の「日本的情緒」「静けさ」と松橋のもつ「動・乱」「激しさ」がぶつかり合い、新生絶対無がスタート。
2001年11月8日、インターネットを通じてバンドサウンドに興味を抱いたアメリカのプロモーター Eugene La Branch 氏が club asia (東京・渋谷)でのライヴに奥方とともに訪れる。そのライヴは松橋の絶対無デビューライヴだった。氏はライヴ後の打ち上げにいきなり飛び込みメンバーたちと意気投合し、カラオケなどで翌朝まで飲み明かした。絶対無の音楽性、コンセプトが非常に気に入った氏よりバンドは全米でのCDデビュー、全米ツアー、マイアミでのレコーディング、ヨーロッパツアーなどのオファーを受ける。
2002年、Eugene La Branch 氏のエンターテインメント会社とレコーディングなどに関する3年契約を結び、6月から約2ヶ月間、氏の経済的全面サポートでロサンゼルスを中心とした西海岸ツアー。しかし、ツアー中の度重なるトラブルにより、急きょ契約を破棄。そして、第2の幕は下ろされた。

1998年
COWBOYS IN TOKYO
*コンピレーションCD
TWIN BHUDDA RECORDS (アメリカ)
絶対無とテキサスのインディーバンド

1998年
Pop Goes The World
*コンピレーションCD
RPM (アメリカ)
絶対無と世界の有名インディーバンド
ディスコグラフィー

Vo/G (2000-2001)

Keyboards (2000-2004)

Drums, Background Vocal (2001~)

Vocal, A.Guitar, E.Guitar, E.Bass, Piano, Keyboards, etc. (1983~)
-
折居 善広(1983~2001) - ドラム、作詞
-
野原 巳香(2000~2001) - ボーカル、コーラス、ギター
-
豊岡 成治(2000~2004) - キーボード
-
松橋 道伸(2001~) - ドラム
-
古江 尚(1983~) - ボーカル、ギター、ベース、ピアノ、作詞、作曲ほか
-
鈴木 進午(1999~2000) - ベース
-
志水 啓一(2000~2001) - ベース
-
中村 光宏(2002) - ベース
-
工藤 栄子(2002) - ボーカル、コーラス
ミュージシャン
-
2000/1/27(木)- CLUB APICA(東京・阿佐ヶ谷)
-
2000/2/26(土)- SILVER ELEPHANT(東京・吉祥寺)
-
2000/4/26(水)- MANDA-LA2(東京・吉祥寺)
-
2000/5/31(水)- BEARS(大阪・難波)
-
2000/6/1(木)- 拾得(京都)
-
2000/7/7(金)- LOFT(東京・新宿)
-
2000/12/12(火)- GOODMAN(東京・秋葉原)
-
2001/4/20(金)- MANDA-LA2(東京・吉祥寺)
w/ 佐野史郎バンド、割礼
-
2001/6/3(日)- club asia(東京・渋谷)
-
2001/6/23(土)- 「BLUE VELVET NIGHT」青い部屋(東京・渋谷)
w/ DARKSIDE MIRRORS
-
2001/11/8(木)- club asia(東京・渋谷)
-
2001/11/24(土)- 「BLUE VELVET NIGHT」青い部屋(東京・渋谷)
-
2002/1/19(土)- 「CRY BABY CRY」 club asia(東京・渋谷)
w/ 遠藤ミチロウ他
-
2002/1/27(日)- Hotshot(東京・大久保)
-
2002/3/12(火)- 東松山市民文化センター(埼玉・東松山市)
-
2002/4/10(水)- FANDANGO(大阪・十三)
-
2002/4/11(木)- club metro(京都)
w/ 佐野史郎とライスカレー
-
2002年6月~7月 - アメリカ西海岸ツアー(アメリカ・カリフォルニア州)

2002年 club metro

2001年 青い部屋
ライヴ / ツアー
幕
3
2003~2007年
バンドサウンド確立期

2003 @Caretta Shiodome
Tokyo, JAPAN
2003年3月、古江と松橋が二人だけで新譜の作成にとりかかった矢先、第3幕のキーパーソンとなるボーカルの 要子 がバンドに加わり、すぐにレコーディングにも参加した。また、ベーシストの May が5月に加入し、彼女もすぐにレコーディングに参加した。
2003年10月8日、サードアルバム 私に何ができるの/What Can I Do を約5年ぶりにリリース。日本での販売元は ジャパンミュージックシステム。
2004年11月、このアルバムの収録曲 CLASS V が、コンピレーションCD J-Indies Archive 隠れ名曲選 に選出される。ちなみにそのジャケット表画像は、ネバーランド(奈良)での絶対無ライブ写真が使用された。
2004年の後半、キーボーディストの 豊岡 、ベーシストの May がバンドを離れた。
2005年5月、ベーシスト オーニシトモユキ がバンドに加入。
2005年6月、4枚目のアルバム 花魁 をリリース。
2006年、アルバム 花魁 のタイトル曲 花魁 がシンガポールのレーベルによるコンピレーションCD ROCK IN ASIA のオープニング曲として選出される。
2007年3月、フランスのプログレ・レーベル MUSEA と日本のプログレ・レーベル POSEIDON との共同プロデュースにより、絶対無の5枚目アルバム 弥勒/MIROQUE をリリース。リリース記念ツアーは2月にアメリカ(西海岸)で先行、3月に日本(都内、大阪、京都、名古屋)で行った。
2007年4月、BS 日テレ MIT Revolutions に出演。想定外のインタビューにメンバーは四苦八苦した。
ボーカルの 要子 は2007年9月、サンクチュアリ(東京)でのライヴを最後にバンドを脱退。音楽修行のためインドに旅立った。そして、第3の幕は閉じた。
ディスコグラフィー

Vocal (2003~2007)

Bass (2003~2004)

Keyboards (2000~2004)

Bass (2005~2008)

Drums, Background Vocal (2001~)

Vocal, A.Guitar, E.Guitar, E.Bass, Piano, Keyboards, etc. (1983~)
-
要子(2003~2007) - ボーカル、コーラス
-
メイ(2003~2004) - ベース、コーラス
-
豊岡 成治(2000~2004) - キーボード
-
大西 智幸(2005~2008) - ベース、作詞、作曲
-
松橋 道伸(2001~) - ドラム、コーラス
-
古江 尚(1983~) - ボーカル、ギター、ベース、ピアノ、作詞、作曲ほか
ミュージシャン
-
2003/10/2(木)- ShowBoat(東京・高円寺)
-
2003/10/12(日)- CROGODILE(東京・原宿)
-
2003/10/25(土)- club metro(京都)
-
2003/10/26(日)- NEVERLAND (奈良)
-
2003/10/27(月)- BEARS(大阪・難波)
-
2003/11/6(木)- MANDA-LA2(東京・吉祥寺)
-
20003/11/17(月)- RATTAN(群馬・前橋)
-
2003/11/22(土)- Bar 蓮月(東京・目黒)
-
2003/12/14(日)- 拾得(京都)
-
2003/12/15(月)- STAR CLUB(神戸)
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2003/12/16(火)- FANDANGO(大阪・十三)
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2003/12/17(水)- NEVERLAND(奈良)
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2003/12/18(木)- TOKUZO(名古屋)
-
2003/12/27(土)- 「BLUE VELVET NIGHT」青い部屋(東京・渋谷)
w/ 恒松正敏(ex.FRICTION)、DARKSIDE MIRRORS
-
2004/1/20(火)- Lamama(東京・渋谷)
-
2004/2/27(金)- Bad Lands(広島)
-
2004/2/28(土)- VIVRE HALL(福岡・天神)
-
2004/2/29(日)- MUSHROOM(兵庫・姫路)
-
2004/8/24(火)- Club Lizard(横浜)
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2005/2/21(月)- RAG(京都・三条)
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2005/2/22(火)- TOKUZO(名古屋)
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2005/2/23(水)- AZ(石川・金沢)
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2005/2/24(木)- JUNKBOX(長野)
-
2005/3/19(土)- CROGODILE(東京・原宿)
-
2005/3/26(土)- 「BLUE VELVET NIGHT」青い部屋(東京・渋谷)
w/ DARKSIDE MIRRORS
-
2005/5/14(土)- 'DESIGN FESTA' 東京ビッグサイト(東京・有明)
-
2005/6/1(水)- CROGODILE(東京・原宿)
-
2005/6/30(木)- MACANA(宮城・仙台)
-
2005/8/8(月)- 'NPO Charity' HEADPOWER(東京・新宿)
-
2005/11/13(日)- dress TOKYO(東京・秋葉原)
-
2007/2/20(火)- Bottom of the hill(アメリカ・サンフランシスコ)
-
2007/2/21(水)- KZSU (スタンフォード大学 FM radio station、アメリカ・カリフォルニア)
-
2007/2/22(木)- Gingerbread House(アメリカ・サンノゼ)
-
2007/2/23(金)- KFJC (FOOTHILL COLLEGE FM radio station、アメリカ・カリフォルニア)
-
2007/2/24(土)- IL Corral(アメリカ・ロスアンゼルス)
-
2007/3/26(月)- RAG(京都・三条)
w/ HANS KELLER(サンフランシスコ)
-
2007/3/27(火)- FANDANGO(大阪・十三)
w/ HANS KELLER(サンフランシスコ)
-
2007/3/28(水)- TOKUZO(名古屋)
w/ HANS KELLER(サンフランシスコ)
-
2007/4/1(日)- dress TOKYO(東京・秋葉原)
w/ HANS KELLER(サンフランシスコ)
-
2007/9/16(日)- Sanctuary(東京・沼袋)

2007年 「弥勒」
レコ発ツアー

2004年 西日本ツアー
ライヴ / ツアー
幕
4
2008~2014年
バンドサウンド熟成期

2011 Zettaimu's live, Tokyo

“スゴいサウンド!
このバンドと活動したいです"
エルトンジョン、L・ツェッペリン...
などの英国プロデューサー
- スチュワート・エプス -
“ホントにクリエイティブ!!
すぐにでも一緒に活動したい。車や飛行機では君らのCDをいつも聴いてるけど、楽しい。何か新しいものをいつも感じる。"
"スゴい曲!!!"
"日本にもアメリカにもない本当に新しいサウンドを協力して作ろう"
マドンナのレコードプロデューサ
- アンドレ・ベッツ -
2008年、日本のプログレ・シーンを代表するバンドらによるコンピレーション・アルバム Jap's Progre に 絶対無 も未発表曲 おん、そわか で参加! 危ない精神性をユニークに表現した 絶対無 らしい和ロックとして話題となる。その歌詞のほとんどがサンスクリット語によるご真言で、他に日本語、英語、フランス語、ドイツ語、そしてロシア語まで混ぜてある。デッドロックが効いたデジタル時代を小気味よく皮肉っている。
2009年初め、世界的に有名な英国プロデューサー STUART EPPS から 絶対無 に突然のコンタクト。彼は、エルトンジョン、ツェッペリン など超有名アーティストを長年プロデュースしてきた。彼は 絶対無 とともに活動したいと伝えてきた。
2009年中ごろ、米国 マドンナ のレコードプロデューサー Andre Betts から 絶対無 に突然のコンタクト。彼は日本にもアメリカにもない本当に新しいサウンドをコラボして作ろうと言ってきた。
2009年後半、新ベーシストに 堀内 宏明 、そして女性シンガー 茉莉子 がバンドに加入し、都内でライブ活動を再開。
2011年、インターナショナル・チャリティーのコンピCD Under A Big Red Sun に参加。英国の民間団体 OxFam International が主催し、アメリカのレーベル Zos Kia Sound Recordings が企画する2枚組アルバムで、UK、US の個性的なアーティストの作品を多数収録。アジアからは 絶対無が選出された。絶対無 にとっては、海外レーベルが企画するコンピへの参加は4度目となるが、「プログレか否か」で物議を醸した10分もの大作 おん、そわか が収録された。
2012年、シングル クラス・ファイヴ(アンプラグド版) をリリース。
2013年、シングル 黒い天使 、 ブラック・エンジェル をリリース。
2014年、シングル ケセラセラ をリリース。
古江 はいろんなタイプの楽曲をもっと自由に、楽しみながらリラックスして作りたいと思うようになった。そして、第4の幕は自然に下ろされた。
ディスコグラフィー

Vo (2008)

Keyboards (2009-2010)

Bass Background Vocal (2009~2013)

Vo/Background Vo/G (2009-2013)

Drums (2001~)

Vocal, A.Guitar, E.Guitar, E.Bass, Piano, Keyboards, etc. (1983~)
-
コタニマユミ(2008) - ボーカル
-
ヘフテ(2009~2010、メキシコ)- キーボード
-
堀内 宏明(2009~2013) - ベース、コーラス
-
茉莉子(2009~2013) - ボーカル、コーラス
-
松橋 道伸(2001~) - ドラム、コーラス
-
古江 尚(1983~) - ボーカル、ギター、ベース、ピアノ、作詞、作曲ほか
ミュージシャン
-
2010/5/9(日)- Sanctuary(東京・沼袋)
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2010/5/24(月)- Turning(東京・西荻窪)※ライヴ収録
-
2010/8/18(水)- ShowBoat(東京・高円寺)
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2010/10/31(日)- Silver Elephant(東京・吉祥寺)
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2011/1/18(火)- Lamama(東京・渋谷)
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2011/2/6(日)- UFO CLUB(東京・高円寺)



2011年 UFO CLUB
ライヴ / ツアー

幕
5
2015年~
絶対無の原点回帰

2015 Carry On Till Tomorrow
2014年、古江 はパリの ムーラン・ルージュ を訪れたとき、ロートレック の匂い、影をそのキャバレーの隅々に感じ、帰国後すぐに ムーラン・ルージュ をテーマにした楽曲をいくつか作った。ロートレック は彼が若い頃からダントツに惚れ込んだアーティスト。また、古江 はフランスの友人 Neven とフランス語の楽曲をいくつか作った。
2015年、古江 は初のカバー 明日の風(バッドフィンガー)を突然リリースした。
2016年、シングル リアリティー をリリース。音楽修行のためインドに渡った 要子(第3幕キーパーソン)が帰国。レコーディングに参加し、久しぶりの要子節を披露。
2017年、シングル おん、そわか の新バージョンをリリース。同年には約10年ぶりとなるアルバム ニュークリア/new Clear( ); をリリース。
2019年11月、フランス人シンガーの ジェレミー が、シングル 鉛の兵士/Soldat De Plomb をのレコーディングに参加。これはフランス語で書かれた初めての作品。
2021年、シングル ムーラン・ルージュ~ロートレックの影/Moulin Rouge~L'ombre de Lautrece をリリース。これは 古江 が初めてフランス語で歌った曲で、第4幕のシンガー 茉莉子 がフランス語で母性(ムーラン・ルージュの娼婦)を感じさせるコーラスを歌った。また、同年にはシングル うちの婆様が言うには 2021 をリリース。
2022年、プーチン大統領のウクライナ侵攻が始まり、古江 はプーチンの狂った残虐行為に耐えきれず、新曲「裸の王様はソ連に戻ってきたの !?」を作曲。 それはビートルズをモチーフにした本気のパロディです。
ディスコグラフィー

ドラム (2001~)

ボーカル、ギター、ベース、ピアノ、作詞、作曲ほか (1983~)
-
ジェレミー(2019~2020、フランス) - ボーカル
-
松橋 道伸(2001~) - ドラム
-
古江 尚(1983~) - ボーカル、ギター、ベース、ピアノ、作詞、作曲ほか